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自治研ちば vol.32(2020年6月)より転載
<シリーズ千葉の地域紹介>
…酒々井町企画財政課
千葉県の北部、北総台地に酒々井町は位置し、都心から50㎞の圏内にあって、北西部には印旛沼、東南部には北総台地を配し、緑豊かな自然環境に恵まれています。
歴史的には、約3万4千年前の旧石器時代の遺跡や千年前の印東庄の景観が残り、中世戦国時代には、下総の国を統治した千葉氏が本佐倉城(国史跡)を築城して、約100年にわたり、下総の首府、政治、経済の中心として栄えました。江戸時代には、佐倉城下、幕府の野馬会所、成田・芝山への宿場町として賑わいました。 明治22年に町村制が施行され、近隣16か町村が合併して酒々井町が誕生し、独立独歩の町として131周年目を迎え、現在に至っています。
◆築山からの展望
「築山」は酒々井で一番、眺めの良いところです。かつては「桜山」と呼ばれ、戦国時代には見張り台として印旛沼を通行する船を監視する場所でした。 江戸時代には佐倉藩の所有地でしたが、明治の始めに佐倉藩が無くなると希望者に売られることになり「桜山」は地元の木内常右衛門に払い下げられました。常右衛門は「桜山」を近江八景に真似た自宅の庭の一部として使用したことから現在の「築山」と呼ばれる ようになります。
明治14年と15年に三里塚(現成田市)の下総種畜(しゅちく)場(じょう)に向かう明治天皇が休憩所として足を運ばれました。現在、築山にはこの時を記念する昭和3年に建てられた大きな碑が立っています。
築山からの眺めは広大な田園風景に天気が良ければ印旛沼の水路筋に筑波山がくっきりと現れ、酒々井ならではの景観を楽しむことができます。
◆国指定史跡 本佐倉城跡
本佐倉城は中世戦国時代の城郭であり、文明年間(1469~1487年)に千葉輔胤(孝胤)によって築城されました。 城とその城下は下総国の政治・経済・文化の中心として繁栄し、千葉氏はここを本拠として9代約100年間統治しました。
本佐倉城跡は千葉県最大級の「土の城」です。すべて土の造成によって構築された大規模な空堀や土塁、櫓台に守られた郭群や虎口は現在も明瞭に姿をとどめ、戦国時代の城の迫力と息吹を感じさせます。 本佐倉城跡は、保存の良さと城主である千葉氏の歴史的背景が判明していることが評価され、平成10年9月11日に、千葉県で初めて城郭として国史跡に指定されました。
◆国指定史跡 墨古沢遺跡
墨古沢遺跡は石器製作跡であるブロックが多数集まり、大きく円を描いて分布する「環状ブロック群」と呼ばれる、約3万4千年前の後期旧石器時代の環状集落の遺跡です。日本最大級の規模(70m×60m)を誇り、保存状況も良好なことから、令和元年10月16日に国史跡に指定されました。
環状ブロック群の史跡としては全国初、関東の旧石器時代の国史跡としては3例目、また現段階では日本で一番古い国史跡であり、旧石器時代の人々の生活や活動を知る上で極めて重要な遺跡です。 なお、発掘調査は終了して埋め戻されており、残念ながら遺跡の様子を現地で見ることはできません。
◆江戸時代から伝承されている獅子舞
全国に5,000~6,000ほど存在するといわれる獅子舞。 酒々井町では、上岩橋の獅子舞(毎年4月の第一日曜日)、馬橋の獅子舞(毎年7月の第三土曜日)、墨の獅子舞(毎年7月の第三日曜日)が3地区において、笛や太鼓の音に合わせ五穀豊穣・家内安全・悪疫退散などを祈願して奉納演舞されています。
これらは江戸時代から続く「三匹獅子舞」で、それぞれの地区の個性が見られ、今なお地元の方々により伝承されています。全国的に見ても、酒々井町と同規模の区域内に複数の獅子舞が存在するところは他に例がありません。
◆300年の歴史とされる蔵元飯沼本家「酒々井まがり家」
蔵元飯沼本家に隣接する「酒々井まがり家」は、新潟県の旧清野邸を移築したものです。周囲の自然と調和した趣のある家屋の中で、飯沼本家の名酒を味わうことができます。また、まがり家2階のギャラリーでは落ち着いた雰囲気の中で油彩・陶芸などさまざまな作家の作品が展示されています。
◆新たな観光資源「酒々井プレミアム・アウトレット」
子どもからお年寄りまで幅広い世代に人気の「酒々井プレミアム・アウトレット」は、JR酒々井駅、京成酒々井駅、東京駅、成田国際空港それぞれから直行バスがあるので、アクセスはとても便利です。200を超えるさまざまなお店の中には海外ブランド店も多く、非日常的な空間でショッピングをするも良し、カフェで一息するも良しと過ごし方は無限大です。
★★町名の由来「酒の井伝説」★★
『昔むかし、印旛沼の近くの村に年老いた父親と孝行息子が住んでおった。父親はたいそう酒好きでな、親思いの息子は毎日一生懸命働いて父親に酒を買っていたんじゃ。ところがある日、どうしても酒を買う金がつくれずに、とぼとぼと歩いて家に帰ろうとしていた。その時、道端の井戸から何とも良い香りが「ぷうん」としてきた。井戸の水をくんでなめてみると、それは本物の酒だったんじゃ。さっそく帰って父親に飲ませると、「こりゃうまい酒だ。ありがたい、ありがたい」とたいそう喜んだ。息子はそれから毎日、毎日井戸から酒をくんで飲ませたんじゃ。ところがこの酒は、親子以外の人が飲むと、ただの水になってしまうんじゃな。「きっと、孝行息子の真心が天に通じたに違いない」とみんながほめたたえた。この酒の話しが広まり、村もいつか「酒々井」と呼ばれるようになったということじゃ。』