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千葉の地域紹介

歴史と文化が薫るまち・野田


自治研ちば vol.29(2019年6月)より転載

<シリーズ千葉の地域紹介>

…野田市広報広聴課

千葉県立関宿城博物館(野田市) 野田市は、市の周囲が利根川、江戸川、利根運河に囲まれている地形で、歴史と文化、自然が豊かなまちを形成しています。歴史を振り返ってみると、北部は大都市江戸の玄関口として川の関所が設けられた関宿藩の城下を中心に栄え、南部は、農業とともに江戸っ子の食文化を支えた醤油醸造業が発展し、今でも、市街地には大正時代から昭和初期の建物などが点在しています。

そのほかにも、太平洋戦争を終戦へと導いた鈴木貫太郎元内閣総理大臣や実力名人制を確立し、「近代将棋の父」とも呼ばれる関根金次郎十三世名人を顕彰する記念館がありますので、週末などにぜひ野田散策を楽しんでみてください。

◆城下町、関宿の歴史

江戸幕府は関宿城をとても重要視し、代々、関宿に譜代大名を配しました。江戸時代が幕を閉じるまで藩主は8家23代にわたります。なかでも久世氏の治世が最も長く、老中などの要職に就くほど、幕府内で重要な地位を占めました。

江戸時代の関宿城はほとんど現存しませんが、天守閣を模した「千葉県立関宿城博物館」があります。関宿藩の歴史や「河川とそれにかかわる産業」をテーマに河川改修や水運の歴史を紹介しながら、流域の人々と川の関わりの資料を展示しています。

◆太平洋戦争を終戦に導いた内閣総理大臣・鈴木貫太郎

鈴木貫太郎は、関宿藩士・鈴木由哲の長男として関宿藩の飛地となる和泉国伏尾(現在の大阪府堺市)で生まれ、明治5(1872)年に関宿に戻り、5年ほど過ごした後、群馬県前橋へ移ります。大正12(1923)年に海軍大将に、その後、連合艦隊司令長官、昭和天皇の侍従長などを歴任しました。昭和20(1945)年4月7日、内閣総理大臣に就任し、太平洋戦争を終戦に導き、わずか4か月余りという在任期間でしたが、大役を終えて関宿へ戻り、静かな余生を送ります。故郷の関宿では、地域の特性を生かして河川敷の草を利用した酪農に着目し「農事研究会」を発足させ、専門の講師による講演会も開催しました。そのため、野田市は現在でも酪農が盛んです。

翁の業績を広く紹介するため、「鈴木貫太郎記念館」が昭和38(1963)年に開館しました。礼服や日常生活品などの遺品などを数多く展示しています。

◆近代将棋の父・ 関根金次郎

関根名人記念館 関根金次郎は、子どものころから将棋が強く、小学校に入学するころには、地元に敵うものがいないほどでした。11歳の時に棋士を志して上京。修行を重ねて明治24(1891)年には四段、同38(1905)年には八段へ昇段します。映画『王将』のモデルとなった阪田三吉との三番勝負はこのころです。大正10(1921)年、53歳で十三世名人に就いた後は、340年続いた世襲制と終身名人制を廃止し、選手権制による実力名人制を制定したほか、現在の日本将棋連盟の前身である日本将棋大成会を興すなど、今日の将棋界の隆盛の基礎を築き「近代将棋の父」と言われています。

将棋の情報発信基地として、「関根名人記念館」では、名人ゆかりの品約40点を常時展示、江戸時代から現代までの将棋の本、約2,400冊あまりを所蔵しています。記念館の隣には、52畳の対局室を設け、どなたでも気軽に将棋を指すことができます。

◆醤油のことがなんでも わかる「キッコーマン もの知りしょうゆ館」

キッコーマンが工場内に開設しているミュージアムです。醤油ができるまでを工場見学しながら、もろみ熟成の様子や醤油の歴史展示の見学や醤油の色・味・香りを体験でき、楽しく学べます。

ぜひ野田を訪れ、歴史と文化のある野田の魅力を楽しんでみてください。土曜・日曜も毎日運行するコミュニティバス「まめバス」を運行していますので、市内散策にはご利用ください。

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