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千葉の地域紹介

小さなまちの大きな魅力を積み上げて あしたのハーモニーが響くまち 習志野市

自治研ちば vo37(2022年2月)より転載

<シリーズ千葉の地域紹介>

…習志野市広報課

年末の恒例イベント「習志野第九演奏会」の写真

習志野市は県の北西部に位置し、面積は約21平方キロと県内37市で2番目に小さいながらも、人口は9番目に多い約17万5千人が暮らす、県内で3番目に人口密度の高い都市です。 JR津田沼駅の知名度から、県外の方には"津田沼市"と誤解されることもありますが、都市生活と自然環境が調和した暮らしやすいまち並みと、数多くの優れた芸術・スポーツ文化が息づく文教住宅都市です。

■習志野市の命名

「習志野」の名称は、陸軍大演習を総監した明治天皇が命名されたものです。明治6年(1873)、「下総国大和田原」で大規模な演習が行われました。その際に見事な指揮をとった陸軍少将篠原国幹(しのはらくにもと)を誉めて、「篠原を見習うように」とのお言葉が明治天皇からあったことから「見習篠原」が「見習志野原」になり、習志野原になったという有名な説があります。

■西郷寅太郎とソーセージ

第一次世界大戦時、現在の東習志野に習志野俘虜収容所が開設され、最大で1,000人近くのドイツ兵捕虜が生活していました。所長の西郷寅太郎陸軍中佐は明治天皇のはからいでドイツに留学した経験を持ち、人道的な対応をしました。所内では文化的活動(音楽・演劇・映画など)も行われており、捕虜によるオーケストラや合唱団は所内でたびたび演奏会を開きました。また、映画の野外上映ではアメリカの喜劇映画が多く、チャップリンの映画も上映されていたようです。

西郷所長の熱心な説得で捕虜のカール・ヤーンら5人の職人がソーセージ製法の秘伝を公開し、農商務省の講習会を通じて全国に伝わっていきました。これが、習志野市が「日本のソーセージ製法伝承の地」と呼ばれる由縁です。

■音楽のまち

昭和26年に第一中学校合奏部の演奏が、当時では珍しいスクールオーケストラとしてNHKで放送されたほか、昭和44年の県下2番目のアマチュア・オーケストラ「習志野フィルハーモニー管弦楽団」の結成をはじめ、子どもから大人まで、様々な年代の市民による音楽活動が盛んです。パイプオルガンも備える本市の文化芸術の殿堂「習志野文化ホール」においては「習志野第九演奏会」が年末の恒例行事となっています。

学校教育においては、昭和47年に第一中学校管弦楽部が初めて全国学校合奏コンクールで最優秀賞を受賞し、以降、市立習志野高校吹奏楽部をはじめ、多くの小中学校の音楽部が全国大会で優秀な成績を収めています。

■スポーツの発展・熱い応援

市立習志野高校は、2度の全国優勝を誇る硬式野球部や春高バレー常連のバレーボール部、五輪選手を輩出する体操部、ボクシング部など、全国レベルの部活動が活躍しています。 茜浜に練習拠点を置くアメリカンフットボール社会人クラブチーム「オービックシーガルズ」は、8度の日本一に輝き、「習志野市民栄誉賞」を受賞しています。

鷺沼には大相撲の阿武松(おおのまつ)部屋があり、力士たちは日々稽古を重ねています。相撲教室や祭りへの参加など、市民と触れ合う機会が多く、広く市民に親しまれています。

■100万回超再生のミュージックビデオ

「レッツゴー習志野・オフィシャルミュージックビデオ」 の写真習志野高校の野球応援でおなじみの楽曲をもとに、市がプロデュースしたPR動画「レッツゴー習志野・オフィシャルミュージックビデオ」。自治体が「ミュージックビデオ」を作るというのも珍しいですが、習志野市公式YouTubeで120万回を超える再生回数を記録しています。

■プラッツ習志野

本市では、昭和30年代から50年代にかけ、人口の急増に伴い急速に整備してきた多くの公共施設が今後次々に寿命を迎えるため、老朽化対策が大きな課題となっています。そこで、持続可能な都市経営を実現するために「公共施設再生事業」に取り組んでおり、令和元年に誕生した生涯学習拠点の「プラッツ習志野」は、公民館、図書館、ホール、公園、体育館などが一体となった複合施設です。民間事業者との協働によるPFI事業により一体的に整備しました。

令和3年10月には新たに「出会いのひろば」、「ウエルカムひろば」がオープン。図書館の前には市民の要望が多かったカフェも併設され、朝市の開催など、市民の新たな出会いや交流を促進し、にぎわいを創出していきます。

■野鳥のオアシス・谷津干潟

習志野市の南側は東京湾に面しています。谷津干潟はかつて東京湾の奥部に存在した前浜干潟の一部で、広さは約40ヘクタールと東京ドーム約9個分、ほぼ長方形の形をしています。シベリアなどの北の国とオーストラリアなどの南の国を行き来する渡り鳥の重要な中継地で、1年を通して多くの水鳥が飛来する野鳥のオアシスです。将来にわたり干潟の豊かな自然を残すため、行政と市民が協働して清掃などの保全活動が行われています。

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