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「地方分権改革の現状とこれから~行政法学者からみた到達点と課題~」の講演要旨(2023/03/04)


講師:地方自治総合研究所 北村 喜宣(上智大学法学部教授)




職員研究講師としての危機感

北村講演会の模様 私は、総務省の自治大学校や自治体において、長らく「政策法務」という科目の研修講師を務めている。この数年、政策法務研修の受講生に大きな変化があるように感じている。それは、「分権改革を知らない職員たち」が増えてきていることである。行政現場においては、現状をあるがままに受け止め、これまでこのようにやってきたからこれからもそのようにやっていくという「慣性の法則」にのっとった毎日を過ごしているのだろう。

講義の冒頭部分で、決まって行う「儀式」がある。それは、「行政とは何かを、20文字以内に9歳児にわかりやすく説明してください。」というアイスブレークである。そうすると、「みんなを幸せにするためにお仕事をしているところ」という趣旨の回答が示される。

1993年からの30年

これまでの状況を振り返ってみよう。分権改革のスタートを、1993年6月、国会においてなされた、「地方分権の推進に関する決議」としてみた。この決議受けて、1995年5月に、地方分権推進法が公布され、その成果が、1998年5月に閣議決定された『地方分権推進計画』である。それを踏まえて、関連法令を一挙に改正する「地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律」が、2000年4月から施行された。 現在必要なのは、第1次分権改革および第2次分権改革によってなしえなかったことを今一度整理する作業である。 礒崎初仁教授(中央大学)は、近著『地方分権と条例』において、全体の流れを、〔図表1〕のようにまとめている。

北村講演会の模様 昨年3月に亡くなられた西尾勝先生は、機関委任事務制度を全廃したことが第1次分権改革の最大の成果であったと強調された。このような制度が存在していたことすら、最近の自治体職員は知らない。機関委任事務制度の問題点は何であったについて、1990年代に、千葉県職員、鳥飼顯氏が注目される論文を発表している。 論旨は次の通りである。大臣と自治体の長の間には、職務執行命令訴訟制度という司法判断を要する間接的強制関係があるにすぎない。機関委任事務であるから上下・主従関係があるというのは「虚像」にすぎない。そうした認識が自治体職員にあるとすれば、それは、「法律は全国平等適用されるべき」という所管省庁の通知と、法律に従わなければならないという「遵法精神」があるためである。機関委任事務制度は全廃されたものの、全国平等適用意識、遵法精神は、自治体職員の思考の根底になお強く存在していると考える。

国と自治体の協力を通じた国民・住民の福祉増進

昭和憲法の三大基本原理は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義と整理されるが、4番目として地方自治を加えてよいはずである。 

変わらぬ法令、変わらぬ認識

第1次分権改革を終えた地方分権推進委員会が、2001年6月に出した『分権型社会:その道筋』という最終報告では、この改革が未完である理由が、整理されている。残された課題を一言でいえば、「地域における事務について自分たちで決めるということの法制度的拡充」である。

自治体の長に実施を命じていた事務を「国の事務」という機関委任事務から「自治体の事務」にするという大改革はたしかに実現した。義務づけの根拠となっていた法律からは、「国の事務」という「魂」が抜け、「自治体の事務」という「魂」が新たに込められた。ところが、法令構造はそのままに残されているのである。

国の事務として全国平等適用が求められたものであるがゆえに、政省令や通達を通じて、相当に詳細な決め込みがされている。全国一律、規定詳細、決定独占という「三密」状態である。

最終報告にあったように、義務付け・枠付けの緩和は目指すべき方向である。そこで、中央政府は、そのための作業を進めた。第2次分権改革といわれるものある。そこでは、29法律100条項で実現したとされる。対象とする法律を中央政府が選択し、「従うべき基準」「標準」「参酌すべき基準」を中央政府が決定し、それを踏まえた条例制定を義務づけたのである。本来的に自治立法である条例の強制である。自治体行政現場にはブーイングが巻き起こった。そこで、政府は方針を転換し、提案募集方式を導入して現在に至っている。

「上書き条例」という言葉がある。これは、法令で規定されている内容を修正する条例という意味である。4つのハードルを越えなければ条例決定に至らない。あれこれと中央政府が介入して枠を決め、条例決定範囲がどんどんと狭くなっているのがよくわかる。 法令ガラス細工説。中央政府、もっといえば、内閣法制局の法令観はこうしたものであろう。法律に自治体の事務が規定されても自由にさせない。、中央政府は、条例を政令や省令のような委任立法と考えている。こうした発想では、限界がある。

そうであるために、細々と進められている分権改革は、ジャーナリズムの関心をまったく失ってしまった。先に紹介した地方自治法の関係規定に照らして、現在の中央政府の対応を「おかしい」と感じる自治体職員がどれくらいいるだろうか。本日の講演では「慣性」という言葉を多く用いている。慣性に変化を与えるには、「外力」を加えるほかない。異なった見方を無理矢理にでもすることを制度化する必要がある。地域ニーズの実現を法律実施を通してやってみたいという職員の意欲がそれを可能にすると信じたい。

条例による対応

「三密」状態の法令をいかにして地域ニーズに適合するように運用するのかが、現在の自治体の大きな課題である。自治体に自由度の高い決定権を与えるような法改正をするつもりは国にはない。

エピソードを紹介しよう。景観法という法律がある。条例による決定を比較的多く採用している点で分権的と評されている。そのなかに、景観計画制度がある。景観計画をつくれば、景観法の権限を行使する決断をしたということになる。景観計画を策定しているのは、629団体である。この数字を国土交通省は「少ない」と感じて、自らのKPIとして、「景観計画の策定数を増やすこと」を掲げている。国土交通省にこう指摘した。「KPIは自分の事務に関して設定するものだけど、なぜ国交省が景観計画策定数を増やすという目標をたてるのか」「KPIにするなら、市町村に説明会を開催する回数ではないか」。しかし、何を言われているのかわからないようであった。

法令は、公共の福祉の実現のために、基本的人権の制約をする。その法律のもとで自治体が再調整しようとすれば、条例によらなければならない。憲法94条は、自治体の事務に関して条例制定権を保障している。「法律の範囲内」であり「法律に基づき」となっていない点を確認しておこう。自治体は、法律の目的や制度趣旨を没却することなく、それをよりよく実現することで住民の福祉を増進するような条例対応が憲法94条によって保障されていると考えるべきである。

自治体事務並存型法律における国の役割と自治体の役割

それでは、法律のなかに自治体の事務が規定されている「自治体事務併存型法律」において、どのような条例対応が可能かを考えてみよう。

第1は、法令では不足していると自治体が考える場合である。第2は、法令が地域ニーズに適合しないので修正が必要と自治体が考える場合である。

第1の例として、「千葉県廃棄物の処理の適正化等に関する条例」をあげよう。この条例のひとつの仕組みは、規制対象となっていない小規模の焼却施設を許可制にすることである。この条例案に対して環境省と千葉地方検察庁は違法と指摘した。千葉県は、廃棄物処理法の適用範囲を拡大しようとしたわけではない。それとは別の仕組みを条例でつくろうとしただけである。まさに、政策法務を実践した条例とであり、全国に誇ってよいものである。さらに、第2の例として「横須賀市宅地造成に関する工事の許可及び手続きに関する条例」(横須賀市宅地造成条例)を紹介しよう。この条例の特徴は、宅地造成等規制法が規定する許可基準に独自の基準(資力)を追加した点にある。注目すべき政策法務対応といえる。まさに憲法94条の「法律の範囲内」という文言を自治的に解釈した結果である。地域住民の福祉の増進のためには、そうした対応をする必要があるという自治体の強い想いが法制化されたものとして評価したい。

都道府県・市町村一律主義を考える

法律は、都道府県・市町村一律主義が前提にある。第1次分権改革以前の機関委任事務のもとでは、「たまたま自分の自治体に居住する日本国民」に対する事務実施なのであった。現在では、それは、地方自治法148条に規定される長の意味である。

「都道府県知事」「市町村長」という固有名詞の自治体の長はいない。市町村長の場合、自分の事務が規定されている法律について、これを「A町長」と読み替えたとき、十分な事務の実施は可能なのだろうか。義務的事務となっている場合には、自治体は逃げられない。「空家等対策の推進に関する特別措置法」(空家法)の実施過程の調査のために小さな町村に電話をする機会があったが、回される担当課は、「総務課」の場合が少なからずあった。当該法律に関して十分な実施体制が整備される保障などどこにもない。

かりに訴訟で争われた場合、それが機関委任事務であれば、法務省から訟務検事が派遣されて応訴を担当してくれた。現在では、そうではない。法定事務については、自治体の責任で対応しなければならない。敗訴の場合には、相当の支出が命じられる可能性がある。

冒頭にふれた地方分権推進委員会の最終報告は、「Ⅱ 地方公共団体の事務に対する法令による義務付け・枠付け等の緩和」に寄せて、「地方分権を実現するには、事務事業を実施するかの選択それ自体を地方公共団体の判断に委ねることが重要である、地方公共団体の事務に対する国の義務付け、枠付け等を大幅に緩和していくことである。」と記した。この記述は、いささか無責任である。人の生命・健康に密接に関係する事務であれば、「国家として」対応する責務がある。

ひとりの住民は、国民であり、都道府県民であり、市町村民である。「三重人格」となっている住民性のどの側面をどの行政主体がサポートするのか。少なくとも行政法学的には、何の議論もされていない状況にある。

全国統一と地域多様のベストミックス

全体としてみれば、分権改革がされたにもかかわらず、現行法制は旧態依然としている。現在の中央政府には、分権改革を進める意欲がおよそ感じられない。必要な作業は、第1には、現行法令を分析し、①全国統一的に規定されるべき事項、②地域的に決定されるべき事項の2つに仕分けてゆくことだろう。新規立法や一部改正法も検討素材となる。国の役割を明確に限定する理論化作業が必要である。とりわけ地方自治を研究する法学者にとって求められる第2の実践は、地域ニーズを反映した条例のサポートである。

分権改革の着実な推進のためには、まず自治体側が、あるべき姿が何なのかを原理主義的観点から十分に認識することが必要である。分権改革は、今なお「現在進行形」なのである。第1次分権改革の意義を次代の担う若手自治体職員に的確に伝える必要性はきわめて大きいのである。

国政のパートナーとしての自治体

分権時代におけるシンボリックな制度は、2011年に制定された「国と地方の協議の場に関する法律」により設置された法定の協議機会である。地方自治法の立法原則にかなった法改革につながる議論が期待された。この組織が、成果をあげているのかどうか、私には評価ができない。事前に準備会議が開催されているとすれば、それを含めて政治学者や行政学者の実証研究が期待される。

地方自治法が規定する地方六団体の意見提出権がある。こちらについても、果たして成果が現れているのかについての実証研究が期待される。私の断片的な調査では、申出締切りの1~3週間前に連絡される場合もある。これは論外であり、相場は1ヶ月といわれるが、そうであっても、地方六団体側に十分な検討時間はないと考えるのが常識的である。形骸化しているといわれても仕方ないだろう。また、地方六団体側に十分に分析できるだけの組織力を持っていないことも問題である。この制度は、導入時には「自治体の国政参加」としてもてはやされたのではあったが、中央政府も地方六団体も、現在では真剣に受け止めて運用しているとはいえないようにみえる。

私自身のこれから

自分自身、地方自治の本旨を実現するための法制度論や法解釈論の研究を継続してきた。その根底には、体を張って行政に協力をされた先輩研究者に対する感謝の想いがあった。本日午前、「西尾勝先生お別れの会」に出かけ、にこやかにされている遺影を前にして、改めてその想いを強くした。バトンを受け取るにはきわめて力不足であるのは十分に認識しつつ、息の長い作業となるだろうこの改革の推進を次世代の研究者に引き継ぐための「何事か」を残したいと考えるからである。

何が国と自治体の適切な役割分担であり、それは法制度にどのように反映されるべきなのか。国の決定と自治体の決定の境界線はどこに引かれるべきか。条例でも修正しえない法令内容とは何か。地方自治法2条11~13条に規定される立法原則や解釈原則では抽象度が高いのは自明である。結局は、憲法92条にある「地方自治の本旨」の内実を問う作業になる。最終報告は、その具体化について、「将来の分権改革に託された究極の検討課題であろう。」と述べた。それから22年になる。

本報告の準備をする過程で、自分なりには検討したのであるが、斬れ味のよいモデルは結局提示できなかった。これまで以上に自治の現場に学びつつ、愚直に歩を進めてゆきたい。


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